認 活男【にん かつお】ブログ
認知症看護認定看護師の情報発信活動ブログ
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埼玉立てこもり殺傷

目次

概要

1/26に渡辺容疑者(66)の母親が92歳で死去。翌日弔問に訪れた医師の鈴木さん(44)を猟銃で射殺し、その他の在宅クリニック関係者を人質にして閉じこもる。
鈴木さん以外にも理学療法士の男性への発砲や相談員の男性への催涙スプレー噴射の危害を加え1/28 に逮捕されるという事件であった

渡辺宏容疑者は「母が死んでしまい、この先良いことはないと思った」「自殺しようと思い、自分だけではなく医師やクリニックの人を殺そうと考えた」と供述し、在宅医療の関係者を弔問に呼び出したらしい

渡辺容疑者の立場から思う事

自分の愛する人が元気な状態でいつまでも長生きをしてほしい。という気持ちは誰しも持っているのではないか。その対象が恋人、好きな芸能人、妻や夫や子供、両親という違いだけであって、息子が母を対象とする、いわゆる”マザコン”という言葉で表現される状態でも至って健全な状態のような気がする。

その対象者が容体が悪くなる様子を近くで見ているのは辛い事だろうと思う。
どんなに大往生だった方に対してもできる事はなかったのだろうか?と探してしまう。

私も先日90歳代のお世話になった親戚の人をガンで亡くしたが、入院中に「もう少しリモート面会を増やしていれば寂しさが軽減していたかもしれない」と思ったりもした。
その反面
「痛みもあまり感じず、入院期間も短かったことを考えると良い死に方だったよね。」と思う事もできている
だが医療関係者という事や、葬儀の時に多くの人と悲しみを分かち合うことで受け入れることができているのではないだろうか

容疑者は母親と2人暮らしで今まで献身的な介護を続けてきたらしい。
愛する母親の体力や気力が衰えていくことに対してどう対応してよいかわからない事から、病院での検査を優先的にさせてほしい。という要求や医師会に苦情の電話を繰り返す行動へとつながったのだろう
人は知らない事に対して恐怖を覚えると思うし、周囲に相談できない環境や助言をしてもらえる人がいないことで、恐怖は助長されると思う

人を殺めることは絶対に許せないが、
恐怖の末に愛する人が亡くなった事で、”怒り”(キューブラロス)の抑制が効かず、
さらに、それを抑制する人もいなかったことから起こった事件ではないか

何か気の毒な感じも残る


キューブラロスの死の段階

  1. 否認(死を受け入れられない。家族は火葬ができないや部屋を片付けられない等)
  2. 怒り(自分がもっと適切な対応ができていれば死ぬことは無かった等、他者や自分、運命に対して怒りがこみ上げてくる)
  3. 取引(逃れるためなら何でもする。等と神様等にすがる段階
  4. 抑うつ(現実から逃れられないため、希望を無くし楽しいと思えない。集中できない段階)
  5. 受容(悲しみを感じながらも死を受け入れ、日常生活ができるようになってくる

順番に起こるわけではなく、起こらなかったりもする。人によって様々


事件から学ぶこと

もちろん事件の詳細なところはわからないが、事件から私が学ぶことについては
エンド・オブ・ライフ・ケアの大切さではないか
エンド・オブ・ライフ・ケアとは「病や老いなどにより、人が人生を終える時期に必要とされるケア」と考えられている。

ポイントとして


  • その人のライフ(生活・人生)に焦点を当てる
  • 患者・家族・医療スタッフが死を意識したころから始まる
  • 生活の質を最後まで最大限に保ち、その人にとって良い死を迎えられるようにすることを目標にする
  • 疾患を限定しない
  • 高齢者も対象にする

公益社団法人日本看護協会:認知症ケアガイドブック、P=232より引用


今回の事件から具体的に考えていくと

渡辺容疑者の母親は92歳と高齢者、
胃ろう(お腹に穴を開けて管を通し、管から栄養をとる)の話が出ていたとの情報により、嚥下(食事の飲み込み)状態が良くなかったのではないか。もしかしたら誤嚥性肺炎など起こしていたのかもしれない。
そのように考えると、十分エンド・オブ・ライフ・ケアの対象になる

対応はどのようにするのか?


まずはその人のライフ(生活・人生)を聞くところから始める
どのように生まれ?どのように過ごしてきたのか?
渡辺容疑者はどのようにして母親に育ててもらったのか?
性格は?好むことや嫌いなものは?
死についてはどのように考えていたのか?
できれば家族を含めた本人に聞く方が良いが、できなければ家族に聞いていく
そうすることで渡辺容疑者にとって情報の整理に繋がるし”自分を支えてくれる医療者”と安心感を持ってもらえるのではないか。
この時「死」とは避けられないものなので、理想的な「死」を迎えられるよう援助していきたいことも伝えておかないといけないのではないか

ライフを聞いたら
体や精神的な側面、社会的(金銭的な問題から施設入所など)な面や宗教、さらには聴取したライフも考慮して、どのようにすれば母親の生活の質を保てられるか?を話し合っていく
例えば、熱はあるが外での散歩は好きだったから続けていこうなど、家族・本人・多職種が入り、話し合うことが必要ではないか
(難しい場合は調整役の人が意見を集約する等の工夫が必要かもしれない)

次に現在起こっていることの見極めを行う
食事が食べれなくなってきているのであれば、原因は加齢による飲み込みの悪さなのか?消化管に異常があることが原因なのか。前者であれば完治する見込みは薄いので、管を使っての栄養を行うのか?後者であれば検査をして治療するのかどうか?を判断していく

あとは
母親の「死」を迎える上で最良の選択を、関わる人達皆で決定していくことが必要だと思う。

まとめ

事件をみて思った事として
家族・本人と医療関係者の信頼関係は思っている以上に重要だと感じた

また、信頼関係が築けないようであれば看れないことをしっかりと伝え、他の機関を紹介する。他の機関を紹介しても受け入れられないのであれば、私の施設ではここまでしかできないので利用するのであれば、納得の上で援助させて貰う旨をしっかり伝えることが重要だと感じた

前提として、
被害にあわれた方々が、今回ブログに書いたことを行ってなかったと非難するわけではなく、どんなに良い対応をしていても起こりえる事件であると思っています
私が学んだ事を記載しています

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ABOUT ME
認 活男
准看護師として認知症看護に関わり始め看護師へとステップアップ、在宅や介護保険制度に関わる知識が必要と考えケアマネージャーの資格を取りました。そんな時に同居している祖父がアルツハイマー型認知症と診断され家族としての介護がスタート。昼間は仕事で認知症の方と関わり、その他の時間は自宅で認知症介護という日々を送りました。精神的にも肉体的にも疲れましたが、その時の経験を生かして、認知症に苦しむ方達のために活動をしていこうと決意。認知症看護認定看護師の資格を取得して現在は認知症者本人やその家族、看護師・介護士からの相談や指導に関わっています