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認知症の患者を看護するのは嫌い?
私は2次救急の病院に勤務している。2次救急とは手術や入院が必要な重症患者に対応する病院の事で入院治療の必要がなく外来通院で可能な1次救急と、より高度な救命救急医療を提供し「最後の砦」である3次救急の間に位置づけされている病院だ。
そんな病院に勤めているのだが以前「認知症の患者を看護するのは嫌い」と言われたことがある。「認知症の患者を看護するのは難しい」や「認知症の患者をゆっくり看護する時間がない」という事を言われるのは日常茶飯事だが、嫌いと言われたのは初めてだったので今も印象に残っている
嫌いなのは人それぞれだがタイトルの本を読んで、今から私たちの生活の中で起こる事に逆行していると感じたのでブログに書いてみた
これから身近で起こる事
誰もが知っていると思うが、これから起こる事は超高齢社会の進行だ。
2018年には28.1%であった高齢化率は2025年には30%、2060年には40%へと増加し、全国の認知症の患者数は700万人を超えるといわれている。これは2025年には65歳以上の高齢者のうち、5人に1人が認知症という計算になる
これからの認知症の取り組みを示す「認知症施策推進大綱」では認知症になっても希望を持って日常生活をすごせる社会を目指す “共生”と”予防”という事が示された
共生とは認知症と共に生きる。
今まで入院していた患者が自宅で過ごせるような社会を実現させていきましょう。という意味合いで自宅で死を看取る時代にしていきましょうという事
予防とは「認知症にならない」という意味ではなく、「認知症になるのを遅らせる」「認知症になっても進行を穏やかにする」という意味。つまり認知症になるのを遅らせる為に食生活に気を付け運動習慣を作り、地域の繋がりを密にして生き生きと過ごせる仕掛けを作っていきましょう。という事だ。その事を踏まえ本の中で
「高齢者運転の暴走」や「認知症者患者がみんなに迷惑をかける」などと介護者側の目線でとらえられていた社会が、介護される側の目線へと変化していくのではないか。なぜなら介護される側の方が圧倒的多数派になるからだ。と述べられている
かつては「年寄だから」「認知症だから」と少数派の気持ちに心を向けなかった人も、周囲にそういう人が多くなれば少数派=弱者へと変化していく
確かに
携帯電話でもスマートフォンが普及してきたのは、使いやすさ+使用する人が多数派になったから。ビデオからDVDへの移りかわりも、音楽テープからCD・配信サービスへの移り変わりも一緒のような気がする
まとめ
「認知症の方の看護をするのは嫌い」という発言は時代に逆行していると思うが、間違っているかというとそうでもないと思う。個人の向き不向きや好き嫌いは自由だと思うからだ。ただ時代の流れとして急性期の病院や個人の診療所等では確実に認知症者が多くなると予測されるので、小児科や産婦人科など高齢者とは関係性の少ない職場へ移る事をお勧めする。私生活でも親族が認知症になる事が考えられるので、今のうちに施設への入居意思の確認や介護者の手配(看てくれる親族の決定)、高齢になってきているのであれば介護保険の有無にかかわらず入所先を探しておいた方が良いと思う。
著者である井桁之総先生は
“認知症の発症と同時に、その家族が抱えてきた問題が一気に表面化する”と述べられている
それは即ち、自分の親が認知症になった場合、看護や介護することが嫌いな看護師と、認知機能の低下した方が一緒に暮らせばどちらともにストレスがかかることが予測される。そこで事が起こったときにどう対応するのかを先伸ばしにせず決定しておくことが必要という事ではないだろうか
認知症の方を介護や看護していく事は、自分の怒りをコントロールする事が求められるしコミュニケーションにもコツが必要になってくる。完璧主義の性格であれば自分で自分を追い詰める可能性だってある。
誰もが不幸になる前に未来を予測して備えておくことは必要ではないかと思う
最後まで読んでいただきありがとうございました。