目次
働くという事
池上彰さんの著書「なぜ僕らは働くのか?」を読んでみた
私たちが生活をする時、そこには必ず人と人とのつながりあい、助け合いがある
その中で自分ではできないこと、労力や時間を割けないことを、他の人がする”仕事”に助けてもらう
とある
私の病院を例にとると
肺炎にかかり呼吸困難や倦怠感がみられだした時、地域のつながりで設置されている病院へ行き
そこで働いている医師や看護師という職業の人にアドバイスをもらったり薬の処方をしてもらう。といったイメージになると思う
それは医療従事者だけではなく
昼間子供の面倒が見れない親が、保育園で保育士の先生に子供をみてもらう事や
植物を育てたり、肉を確保したりすることができない人が、農家の方や畜産業の方たちに食材を育ててもらったりすることも同じような事だ
逆に労働者側からしたら
仕事をしているという事で誰かの役に立っているという事になる
お金をもらう・払うという事
ではお金を払うという事は
世の中は仕事によって助け合いのネットワークができており、仕事に対してはお金を払う事で、お礼の気持ちを伝えるルールになっている
お金を払うという事は、その金額分の価値があると思っている。という意思表示だ
という風に述べられている
つまり
ありがとうの気持ちを表す基準がないので、代替の役目としてお金があるという事で、お金を受け取るという事は
自分が社会の中で役立っている事を実感できる証ともいえると思う
人の為だったら頑張れる
認知症の人だけに限らず、人は何らかの役割をもつことが大事だ
役割を持つことなく生活することは
生きているだけで、活きている事には繋がらない
以前学校での出来事で
テストの出題範囲が広いのでみんなで協力してまとめましょう
○○さんはここまで、認活男さんはここから、ここまで
と割り振りを行いました。
この時はみんな素晴らしくまとめ上げていました
この経験から
人間は自分の為だけだったら結構いい加減。
人の為だったら結構頑張る。という風に思いました
認知症の人が働くという事
認知症の人だって
出来ることはできるし、出来ないことはできない
認知症の人が障害されにくい記憶として
手続き記憶がある
自転車に乗る、泳ぐといった体で覚える運動技術や
反復によって意識しなくても習熟する技術の事で
これを生かせば認知症の人だって十分働ける
- 昔から草むしりしていた人が他の家の草むしりのバイトをする
(実例です) - 写真好きの人が写真撮りのバイトをする
- 編み物好きの高齢の女性がいろんなものを作ってあげる
- 以前ピアノを弾いていた方が自宅に行ってピアノ弾きのバイトをする
など工夫すれば色々アイディアが浮かぶ
このような活動をして100円でも稼げれば、
- 仕事という役割
- 他人の役に立っているという嬉しさ
- 活動意欲の向上
- 身体機能の維持・向上
へと繋がり、一石二鳥どころか三鳥、四鳥へと発展していくのではないかと思う
最後まで読んで頂きありがとうございました