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高橋道夫さんの病気について
まず、現在68歳で3年前にアルツハイマー型認知症と診断されたと紹介された。65歳未満であれば若年性認知症にあてはまるので、どれ位から症状が出ていて、どの段階で診断を受けたのだろうと疑問に思った
しかし若年性認知症の有無にかかわらず、定年退職が延長してきている現代で65歳前後での認知症の診断は、第2の人生がスタートする年齢と重なることもあって、人生に対する挫折感や絶望感、介護する家族の負担、経済的な問題など、積極的な社会資源の活用が必要だと思う
ちなみに若年性認知症は
- 進行が早い
- 初期には記憶障害が目立たず視空間認知(目からの情報のうち、物の位置や向きを認識できない。地図を読んだりできない)や失語などが目立つ
- 側頭葉内側(一時的に記憶する部位があるところ)の萎縮は強くない
という特徴がある
認知症に負けた
子供は自分の顔を覚えているのに、自分は子供の顔を覚えられない
だから子供は好きだったけど学童の仕事を辞めた。
認知症に負けたんや
と高橋さんは胸中を述べていた
そして今は趣味のテニスをしたり、認知症相談室で渡邊さん(脳血管性認知症を持つ相談員の方)の手伝いとして、体験談を話したりしている
これを観て私は、もったいないと感じた
なぜもったいないのか?それは
認知症の進行を遅らせるベストな活動をしていないからだ
高橋さんの場合で1番やらないといけないことは
学童のボランティア復帰が絶対条件だと思う
(言い切って申し訳ないが・・・・)
何故そう思うのか。を次に述べる
顔を見ると楽しんでいるかがわかる
高橋さんが
認知症の方の相談にのっているシーンが2回放送された
1回目は
初めての相談という事もあり、かなり緊張している様子がうかがえる
ほとんど会話することがなく、渡邊さんから
「いつ認知症の診断を受けたのか?」という質問に、返答できずに考え込んでいる場面がみられていた
2回目のシーンでは
1回目よりも堂々としているように見え、ご自分の日記を持参して
自分が認知症の診断を受けてからの”苦悩”を伝える様子が見受けられた。
これには、”人助けができた”という
認知症を持つ方に必要な、役割を持って生きるという要素があったと思う
役割とは、人に必要にされるという事と同じことだと考えている
では何故
学童ボランティアをやるべきだと思ったのか?
それは顔である
登下校の子供たちと高橋さんが、話をするシーンがあったが
あの時の高橋さんの顔は
本当に子供が好きで、もっと話をしていたい
という思いがにじみ出ていた
番組の途中でも「子供はいいよね」と話している場面がある
学童ボランティア復帰に当たり
ではどうやって学童ボランティアに復帰すればよいだろうか
そもそも、子供の顔が覚えられないことが
学童を辞めた原因になったというのに・・・である
私が思うのは
- 子供に認知症という病気の説明をする事
- 高橋さんは認知症で記憶障害があり、顔を覚えられないことを子供に伝えておくこと
- 上記の上で、子供たちと一緒に
どうすれば高橋さんが困らないかを一緒に考える事 - 高橋さんが気にしないこと
だと考えている
私の体験から言うと
小学校2年生の時に、ぽっちゃりした女の子に「デブ」と言い
先生にこっぴどく怒られたことがある
それ以来
デブという発言を辞め、今でも「デブ」とは言わずぽっちゃり系というようにしている
また、
子供の同級生が知的障害を持っていることに対して
どうすれば健常な子供たちと一緒に授業に参加できるか
という事を考えるような授業もあっている
このように
認知症を持っている方に対して
- 認知症という病気の存在を知ってもらう
- 認知症の方と一緒の時間を共有することで、肌で経験してもらう
- 認知症の方たちが暮らしやすい社会にするためにはどうすればいいかを一緒に考える経験をする
という
- 認知症者にとって周りの理解が深まってヨシ
- 子供にとっても経験値が上がってヨシ
- 社会にとっても認知症に優しい街づくりに繋げることができヨシ
と3方良しへと繋がっていくと思っている
最後まで読んで頂きありがとうございました
今度は田中さん編を書こうと思ってます